東京高等裁判所 昭和38年(ネ)808号 判決 1966年4月22日
主文
原判決中、昭和三八年(ネ)第八〇八号事件控訴人らの同事件被控訴人広瀬泰三に対する金員支払の請求を棄却した部分を除くその他の部分を取消す。
昭和三八年(ネ)第八〇八号事件被控訴人〓〓煥は、同事件控訴人らに対し別紙目録(二)記載の建物を収去して同目録(一)記載の土地四〇坪(同目録添附略図表示の(A)及び(B)の部分)を明渡し、且つ、昭和三二年一〇月一日から右建物収去土地明渡済にいたるまで一箇月五〇〇円八〇銭の割合による金員のうち、その三分の一を同事件控訴人新間〓かに対し、各その九分の二をその他の同事件控訴人らに対し、支払え。
昭和三八年(ネ)第八〇八号事件被控訴人広瀬泰三は同事件控訴人らに対し別紙目録(二)記載の建物のうち東北側八坪九合三勺の部分から退去して別紙目録(一)記載の土地四〇坪のうち一〇坪の部分(同目録添附略図表示の(A)の部分)を明渡せ。
昭和三八年(ネ)第八〇九号事件控訴人〓〓煥の控訴を棄却する。
訴訟費用は第一、二審を通じて五分し、その四を昭和三八年(ネ)第八〇八号事件被控訴人兼昭和三八年(ネ)第八〇九号事件控訴人〓〓煥の負担とし、その一を昭和三八年(ネ)第八〇八号事件被控訴人広瀬泰三の負担とする。
この判決の第二項中、金員支払に関する部分は仮に執行することができる。
事実
一、昭和三八年(ネ)第八〇八号事件控訴人兼昭和三八年(ネ)第八〇九号被控訴人(以下、第一審原告という。)ら訴訟代理人は、昭和三八年(ネ)第八〇八号事件につき、主文第一ないし第三項同旨(但し、第一審原告らの陳述した控訴状の控訴の趣旨には、昭和三八年(ネ)第八〇八号事件控訴人らが同事件被控訴人広瀬泰三に対して明渡を求める建物部分として、「別紙目録(二)記載の建物のうちの東北側一〇坪の部分」と記載されているが、右は、弁論の全趣旨により「別紙目録(二)記載の建物のうちの東北側八坪九合三勺の部分」の誤記と認める。)及び「訴訟費用は第一、二審とも同事件被控訴人らの負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、なお、同事件被控訴人〓〓煥に対する主文第二、三項同旨の主位的請求に代わる予備的請求として「同事件被控訴人〓〓煥は、同事件控訴人らから一四万六、一六五円の支払を受けるのと引換に、同事件控訴人らに対し別紙目録(二)記載の建物につき売買による所有権移転登記手続をなし、且つ、右建物を明渡せ。」との判決を求め、昭和三八年(ネ)第八〇九号事件につき控訴棄却の判決を求めた。
昭和三八年(ネ)第八〇八号事件被控訴人兼昭和三八年(ネ)第八〇九号事件控訴人〓〓煥(以下、第一審被告〓という。)訴訟代理人は、昭和三八年(ネ)第八〇八号事件につき控訴棄却の判決を求め、昭和三八年(ネ)第八〇九号事件につき「原判決中、同事件控訴人〓〓煥敗訴の部分を取消す。同事件被控訴人らの請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも同事件被控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。
二、当事者双方の主張の要旨、立証及び認否は、次に記載する外は、原判決の事実に記載するところ(但し、乙第一一号証の一ないし四とあるのは、乙第一一号証の一ないし三の誤記と認める。)と同一であるから、これを引用する。
第一審原告ら訴訟代理人は、仮に第一審被告〓の第一審原告らに対する別紙目録(二)記載の建物の買取請求の主張が認められ、従つて、第一審原告らの第一審被告〓に対する主位的請求が認容されない場合には、右建物の時価は一四万六、一六五円を相当とするが故に、その予備的請求として、前記趣旨の判決を求めると述べ、立証として、当審における第一審原告新間卓弥本人の供述を援用し、第一審被告〓訴訟代理人は、立証として、当審における第一審被告〓本人の供述及び鑑定人伊藤徳太郎の鑑定の結果を援用した。
理由
一、第一審被告〓に対する請求について
1 (第一審原告らの本件土地所有権と第一審被告〓の本件土地占有)別紙目録(一)記載の土地四〇坪(同目録添付略図表示の(A)及び(B)の部分)(以下、本件土地という。)はもと訴外新間嘉兵衛の所有であつたところ、同人が昭和三四年三月一五日死亡し、妻の第一審原告新間〓か、長男の第一審原告新間卓弥、長女の第一審原告黒部玲子及び二男の第一審原告新間昌輝が相続により本件土地を共有するにいたつたこと、第一審被告〓が別紙目録(二)記載の建物(以下、本件建物という。)を所有し、その敷地として本件土地を占有していることは、当事者間に争がない。
2 (第一審被告〓の本件土地の占有権原)そこで、第一審被告〓が本件土地を占有するにつき新間嘉兵衛及びその承継人である第一審原告らに対抗し得る権原を有するか否かについて、以下に判断する。
(一) 成立に争のない甲第一号証の二、原審における第一審被告〓本人の供述(第一回)によりその成立を認める乙第五、第六号証、原審証人佐藤鉄太郎の証言(第三回)によりその成立を認める乙第一〇号証、同第一一号証の一ないし三及び同第一二号証、原審証人佐藤鉄太郎(第一ないし第三回)同増田惣平、同吉田栄及び同松尾政治の証言の各一部並びに原審における第一審原告新間卓弥本人の供述及び第一審被告〓本人の供述(第一回)の一部を綜合すると、次のような事実が認められる。すなわち、
訴外佐藤鉄太郎の父である訴外佐藤友次郎は昭和六、七年頃新間嘉兵衛からその所有にかかる静岡市幸町二九番地宅地二四八坪四合五勺のうち本件土地を含む土地二〇〇坪を賃借し、その地上に建物一〇数戸を建築所有し、これらを他に賃貸してきたところ、昭和二〇年八月四日死亡し、佐藤鉄太郎が相続により右地上建物の所有権と共にその敷地の賃借人たる地位を承継したが、その頃右建物がすべて戦災により焼失したので、佐藤鉄太郎は当時あらためて新間嘉兵衛から右罹災跡地二〇〇坪を、建物所有を目的とし、賃料を一坪につき年額八〇銭とする約定で、期間の定めなく、賃借した(佐藤鉄太郎が新間嘉兵衛から本件土地を含む一帯の土地を賃借したことは、当事者間に争がない。))大工職の佐藤鉄太郎は終戦後右賃借地に漸次建物を建築して、自宅の外に、貸家約一〇戸とアパート一棟を所有するにいたつたが、その間の昭和二一年春頃かねて知合いの訴外増田惣平から懇請され、右賃借地のうち当時空地であつた本件土地を含む東北隅五〇坪(そのうちの西南側四〇坪―別紙添附略図表示の(A)及び(B)の部分―が本件土地にあたる。)を建物所有を目的とし、賃料を年額四〇円とする約定で、期間の定めなく、転貸した。増田惣平は佐藤鉄太郎に注文して、右転借地上に木造杉皮葺平家建居宅一棟建坪約一三坪五合を建築所有し、そこに居住して、鏡台、針箱等指物類の製作販売を営んだが、その業績があがつたので、右建物を増改築して、本件建物を含む約四五坪の建物(登記簿上は、木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建工場一棟建坪三〇坪八合七勺((本件建物))及びその附属建物、木造亜鉛メツキ鋼板葺平家建居宅一棟建坪一三坪一合六勺と表示)を所有するにいたつた(その所有権保存登記は昭和二九年五月二七日)。ところが、増田惣平は、その後経営不振に陥つたばかりでなく、債権回収のため債務者の製茶を売却処分したところ、それが訴外松尾政治の差押物件であつたため、同人との間に紛糾を生じ、その損害を賠償しなければならなくなつたことなどから、やむなく昭和三二年五月一〇日頃右建物をその敷地五〇坪の転借権と共に、代金五〇万円で、松尾政治に売却した。その後間もない同月一四日頃松尾政治は、不動産仲介業者の訴外吉田栄の斡旋により、第一審被告〓に対し、右建物をその敷地五〇坪の転借権と共に、代金六九万円で売却した(同被告のための右建物の所有権移転登記は昭和三二年九月二四日)。第一審被告〓は右建物のうち東北端の部分(原審目録添附略図表示の(C)の地上にある部分で登記簿上前記附属建物に当るもの)を増改築して、建坪約一〇坪二階坪約六坪の建物とした上、これを分割して他に譲渡した。なお、第一審原告らは、昭和三四年三月一五日新間嘉兵衛の死亡による相続により、同人が佐藤鉄太郎に賃貸した本件土地を含む土地二〇〇坪の所有権と共に、新間嘉兵衛のその賃貸人たる地位を共同承継した。
以上の事実が認められ、原審証人佐藤鉄太郎(第一ないし第三回)、同増田惣平、同松尾政治及び同吉田栄の証言並びに原審における第一審被告〓本人の供述(第一回)中、右認定に反する部分は、前掲証拠に比照して信用することができない。これを要するに、佐藤鉄太郎は第一審原告らの先代新間嘉兵衛から本件土地を含む土地二〇〇坪を賃借し、昭和二一年春頃増田惣平に対し本件土地を含む土地五〇坪を転貸し、同人は右転借地上に本件建物を含む建物を建築所有したが、昭和三二年五月一〇日頃松尾政治に対し右建物をその敷地である右土地五〇坪の転借権と共に譲渡し、松尾政治は同月一四日頃第一審被告〓に右建物と共に右土地の転借権を譲渡したのであつて、かくして、同被告は、現に本件建物を所有し、その敷地として占有する本件土地については、佐藤鉄太郎が増田惣平のため設定した転借権を同人から松尾政治を経て譲受けたものであることが明らかである。
(二) 原審証人大橋賢司の証言並びに原審及び当審における第一審原告新間卓弥本人の供述によると、新間嘉兵衛は静岡市などに相当広大な土地を所有し、これを多数の人々に賃貸し(当審における第一審被告新間卓弥本人の供述によると、新間嘉兵衛の所有地は約一万坪、借地人は約七〇人であつた。)、その賃料で同人の収入を計つていたことが認められるのであるが、そのことから、直ちに、第一審被告らが主張するように、新間嘉兵衛は借地人の個性については、賃料支払の確実性以外には関心がなく、賃料支払の能力があれば足りると考えていたとし、従つて、佐藤鉄太郎に対する賃貸地についてもその管理一切を同人に委任し、その賃借権の譲渡、転貸について包括的な承諾を与えていたものと認定することはできない。また、第一審被告らの右主張に添う原審証人松尾政治、同増田惣平、同吉田栄の証言並びに原審における第一審被告〓本人の供述(第一回)は、後掲証拠に比照して信用することができず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠がない。むしろ、原審証人大橋賢司及び同佐藤鉄太郎(第二回)の証言並びに原審及び当審における第一審被告新間卓弥本人の供述によると、新間嘉兵衛はその所有地を直接管理し、ただ賃貸地の賃料の取立のみは使用人にさせていたこと、賃貸地の賃借権の譲渡、転貸を承諾することはほとんどなく、まれに承諾する場合にも、新たに土地を賃貸する場合と同様、借地人の賃料支払の能力のみならず、その者の信用や人柄などを調査し、時には保証人を立てさせるなど、厳格な態度をとつていたこと、本件の場合にも、佐藤鉄太郎に対しその賃貸地の管理を委任し又はその賃借権の譲渡、転貸につき包括的な承諾を与えたことはなかつたことが認められる。
このように、新間嘉兵衛が佐藤鉄太郎に対し本件土地を含む土地二〇〇坪の管理を委任し又はその賃借権の譲渡、転貸につき包括的な承諾を与えた事実が認められないのであるから、この事実を前提として、その後における右土地の賃借権の譲渡、転貸についてはその都度新間嘉兵衛の承諾を得ることを要しなかつたとし、従つて、第一審被告〓は本件土地を含む土地五〇坪の転借権を賃貸人新間嘉兵衛に対抗することができたものとする第一審被告らの主張は採用することができない。
(三) 第一審被告〓は、原審における本人尋問(第一回)の際に、「新間嘉兵衛が佐藤鉄太郎の増田惣平に対する土地の転貸を承諾したことを松尾政治からも増田惣平からも聞いた。」と、供述しているが、このような供述は、原審証人佐藤鉄太郎(第一、二回)及び同増田惣平の証言に比照してとうてい信用することができず、他に、佐藤鉄太郎の増田惣平に対する本件土地を含む土地五〇坪の転貸につき新間嘉兵衛の承諾があつた事実を認めるに足りる証拠がない。むしろ、原審証人佐藤鉄太郎(第一、二回)、同増田惣平及び同大橋賢司の証言によると、新間嘉兵衛は、佐藤鉄太郎からも増田惣平からも右土地の転貸について話をされたことも、ましてその承諾を求められたこともなく、佐藤鉄太郎が第一審被告〓を相手方として静岡地方裁判所に右土地明渡請求の調停を申立てた際(第一審被告〓本人の供述によると、昭和三三年春頃)、はじめて佐藤鉄太郎から打明けられて、右転貸の事実を知つたので、同人を叱責したことがあることが認められ、これによると、佐藤鉄太郎の増田惣平に対する右土地の転貸については新間嘉兵衛の承諾はなかつたものということができる。
なお、第一審被告らは、佐藤鉄太郎の増田惣平に対する右土地の転貸については新間嘉兵衛又はその代理人の黙示の承諾があつたと主張する。増田惣平が昭和二一年春頃から昭和三二年五月一〇日頃まで一〇年以上の長期にわたつて本件土地を含む土地五〇坪を使用していたことは、既に認定したところにより明らかである。そして、原審証人佐藤鉄太郎の証言(第一、二回)及び増田惣平の証言の一部によると、右土地と新間嘉兵衛の住居とは約一〇町、徒歩で約二〇分の距離にあること、戦災から二、三年を経た後は、新間嘉兵衛の使用人が佐藤鉄太郎に対する賃貸地の賃料を徴収するため、毎月右土地の隣接地に居住する佐藤鉄太郎方を訪れており、また新間嘉兵衛自身も昭和二五、六年頃一度佐藤鉄太郎に対する賃貸地を見廻りに行き、同人に案内されて、増田惣平が居住する建物にも立寄つたことがあること、昭和二五、六年頃佐藤鉄太郎の賃借地のうち増田惣平に転貸した右土地の裏側(北西側)に隣接した約一〇坪の土地(ここは佐藤鉄太郎が貸家を建てる計画であつた。)が空地となつていたところ、増田惣平が、この空地を新間嘉兵衛から直接借受けた上、営業上必要な指物類の板材等を乾燥させる場所に使用したいと考え、杭を打つたことから、佐藤鉄太郎との間に紛議が生じ、両名が揃つて新間嘉兵衛方を訪れ、同人の意向を確めたことがあることが認められ、原審証人増田惣平の証言中右認定に反する部分は信用しない。しかし、新間嘉兵衛が以上の事情から、増田惣平が居住する建物は同人の所有であり、その敷地は同人が佐藤鉄太郎から転借していることを聞知していたとの原審証人増田惣平の証言は、この点に関する原審証人佐藤鉄太郎の後記証言に比照して信用することができず、他に増田惣平が証言するような事実を認めるに足りるなんらの証拠もない。むしろ、原審証人佐藤鉄太郎の証言(第二回)によると、前記のように新間嘉兵衛が佐藤鉄太郎に対する賃貸地を見廻りに来た際にも、佐藤鉄太郎と増田惣平の両名が揃つて嘉兵衛方を訪れた際にも、両名のいずれからも新間嘉兵衛に対し、増田惣平が居住する建物は同人の所有であること、あるいはその敷地は同人が佐藤鉄太郎から転借していることについては少しも話したことはなく、新間嘉兵衛は、増田惣平が居住する建物は、佐藤鉄太郎に対する賃貸地にある他の建物と同様、佐藤鉄太郎が貸家として建築し、それを増田惣平に賃貸しているものと信じており、増田惣平が右建物を建築所有しているとは疑つてもいなかつたことが認められる。のみならず、既に認定したように、新間嘉兵衛がはじめて右建物の敷地の転貸の事実を知つたのは昭和三三年春頃であつて、その頃は、既に右建物は増田惣平から松尾政治を経て第一審被告〓に譲渡され、右建物には増田惣平は居住していなかつたのである。また新間嘉兵衛の使用人が右転貸の事実を知つていたとの証拠もない。それ故、増田惣平が右土地を転借し右建物を所有していた一〇余年の間、たとい新間嘉兵衛又はその使用人がそのことについてなんら異議を述べなかつたとしても、新間嘉兵衛らはその間増田惣平が右建物を所有していることも、その敷地を佐藤鉄太郎から転借していることも知らなかつたのであるから、新間嘉兵衛又はその代理人が黙示的にもせよ右土地の転貸を承諾したものとはとうてい認めることができない。以上のとおりで、佐藤鉄太郎の増田惣平に対する本件土地を含む土地五〇坪の転貸については、賃貸人である新間嘉兵衛の明示の承諾はもちろん、黙示の承諾も認められないのであるから、増田惣平の右転借権は新間嘉兵衛に対抗し得ないものであることが明らかである。
(四) 第一審被告らは、増田惣平は本件土地の賃借権又は転借権を時効により取得したと主張するのである。しかし、増田惣平が佐藤鉄太郎との契約により本件土地を含む土地五〇坪の転借権を取得したことは、既に述べたとおりであるから、増田惣平が本件土地の転借権を時効により取得したとの第一審被告らの主張そのままはこれを容れる余地はない。もし第一審被告らの右主張が、増田惣平は、佐藤鉄太郎から本件土地を含む土地五〇坪を転借するにつき新間嘉兵衛の承諾を得たと信じて、平穏公然に、且つ善意無過失で一〇年以上にわたり右土地を占有してきたから、新間嘉兵衛の承諾のある転借権を取得したとし、帰するところ、承諾の時効取得をいう趣旨であるとすれば、このような承諾の時効制度を定めた法律の規定はないから、第一審被告らの右趣旨の主張も採用することができない。
(五) 増田惣平から松尾政治に対する本件土地を含む土地五〇坪の転借権(佐藤鉄太郎が増田惣平のため設定した転借権)の譲渡について新間嘉兵衛の承諾があつたと認めるに足りるなんらの証拠もない。また、原審における証人松尾政治及び第一審被告〓(第一回)は、「松尾政治の第一審被告〓に対する右土地五〇坪の転借権の譲渡については、松尾政治から山本某を通じて新間嘉兵衛の承諾を求めたところ、同人の番頭からその承諾を得た」旨を証言又は供述するが、このような証言及び供述は、原審証人大橋賢司の証言に比照して信用することができず、他に、新間嘉兵衛が右転借権の譲渡を承諾した事実はもちろん、松尾政治及び第一審被告〓のいずれからも嘉兵衛の承諾を求めた事実さえ、これを認めるに足りる証拠がない。従つて、松尾政治及び第一審被告〓の右転借権はいずれも新間嘉兵衛に対抗し得ないものであることが明らかである。
(六) 第一審被告らは、「仮に第一審被告〓がその転借権譲受にあたり新間嘉兵衛にその承諾を求めるところ、拒絶されたものであるとしても、右承諾の拒絶は正当な事由を欠く無効なものであり、従つて新間嘉兵衛の承諾があつたことに帰着する。」と、抗弁するのである。新間嘉兵衛が松尾政治の第一審被告〓に対する本件土地を含む土地五〇坪の転借権の譲渡を承諾した事実はもちろん、松尾政治及び第一審被告〓のいずれからも新間嘉兵衛の承諾を求めた事実さえ認められないことは既に述べたとおりである。しかし、原審における第一審原告新間卓弥本人の供述及び第一審被告〓本人の供述(第一、二回)によると、新間嘉兵衛死亡後、第一審被告〓が第一審原告新間卓弥(同人が新間嘉兵衛の佐藤鉄太郎に対する本件土地を含む土地二〇〇坪の賃貸人たる地位の共同承継人の一人であることは、既に述べた。)に対し本件土地を含む土地五〇坪の転借権の譲受につきその承諾を求めたところ、同原告がこれを拒絶したことが認められるので、第一審被告らの右抗弁は、新間嘉兵衛の不承諾(消極的な承諾の拒否)及び第一審原告新間卓弥の承諾の拒否の両者(以下、新間嘉兵衛らの承諾の拒否という。)に関するものと解して、以下これについて判断する。
思うに、わが国の現在の法律はいわゆる賃借権の譲渡性を認めず、民法第六一二条が賃借人は賃貸人の承諾がなければ、賃借権を譲渡し又は賃借物を転貸することができないと規定し、賃借権の譲渡又は転貸借の当事者がこれを賃貸人に対抗し得るには賃貸人の承諾を要するものとしたのは、賃借物の使用者が何人であるかということが賃貸人の利害に重大な関係を有し、賃貸借の成立、維持はその当事者間の個人的信頼関係を基礎とするものと考えられるからである。建物所有を目的とする土地の賃貸借においても、賃借人の賃料支払の能力、意思の有無、土地使用の方法、状況の適否(契約上の使用目的に反するかどうか、近隣に迷惑を及ぼすかどうか、土地の経済的、物理的毀損をきたすかどうか)、賃貸借終了の際の土地明渡の難易等は賃貸人の利害に重大な影響があり、そして、これらは、賃貸人の資力、性行、人柄、職業、社会的地位が異なるに従つて、異なるのである。(土地の賃貸借にあつては、建物の賃貸借の場合とは異なり、土地の経済的、物理的毀損につながる使用の方法、状況の点では賃借人が何人であつてもほとんど差異がなく、賃貸人の利害は主として賃借人の賃料支払の確実性にかかる傾向にあることは否定し得べくもないが、第一審被告らのいうように、賃貸人の利害が賃借人の賃料支払の確実性の一点のみに集約され、その他の点は賃貸人の利害に影響がないとしてこれらをすべて不問に付することは、むしろ現実に反するものといわなければならない。)要するに、賃借人の資力、性行、人柄、職業、社会的地位等に対する賃貸人の個人的信頼関係が賃貸借の成立、維持の基礎になるのであるから、賃借権の譲渡又は転貸の場合でも、賃借権の譲受人又は転借人に対する賃借人の個人的信頼関係を重視しなければならない。それ故、賃貸借の目的物その他の内容の如何を問わず、賃借権の譲渡又は転貸が賃貸人に対して効力を生ずるものとするには、一様に、これに対する賃貸人の承諾にもかからしめる必要があるのであつて、賃貸人はこれを承諾するか、拒否するかの自由を有するものとしなければならない。民法第六一二条も、賃貸人は、正当な事由があるのでなければ、賃借権の譲渡又は転貸の承諾を拒否することができないとは規定していないし、他に、右承諾の拒否について正当な事由があることを要請している法律の規定はない。借地借家人の地位の保護を主たる目的とする借地法及び借家法においてさえ、賃借権の譲渡又は転貸についての賃貸人の承諾の自由を制限する規定は設けていない。以上のとおりであるから、賃貸人が賃借権の譲渡又は転貸についての承諾を拒否し得るのは正当な事由がある場合に限られることを前提とし、本件の場合、第一審原告らが本件土地を含む土地五〇坪の転借権の譲渡について嘉兵衛らの承諾の拒否について正当な事由があることを主張立証しない以上、嘉兵衛らの承諾の拒否は効力を有せず、従つて、その承諾があつたことに帰着するとする第一審被告らの抗弁は採用することができない。
以上の次第であるから、第一審被告〓は、増田惣平から松尾政治を経て譲受けた本件土地を含む土地五〇坪の転借権をもつて、新間嘉兵衛及びその承継人である第一審原告らに対抗することができないものといわなければならない。
(七) 増田惣平が佐藤鉄太郎から本件土地を含む土地五〇坪を転借し、その地上に本件建物を含む建物を建築所有し、第一審被告〓が増田惣平から松尾政治を経て右建物の所有権と共に右土地の転借権を譲受けたが、第一審原告らが第一審被告〓の右転借権の譲受を承諾しなかつたことは、既に述べた。しかるところ、第一審被告〓は昭和三四年九月一〇日の原審口頭弁論において第一審原告らに対し借地法第一〇条による本件建物の買取を請求したのであるが、既に認定したように、本件建物の前所有者である増田惣平及び松尾政治はいずれも新間嘉兵衛に対抗し得る本件土地の転借権を有しなかつたのであるから、本件建物は借地法第一〇条にいわゆる借地権者が権原によつて本件土地に附属せしめた物ということができず、従つて、第一審被告〓は新間嘉兵衛の承継人である第一審原告らに対し本件建物の買取請求権を有しないから、同被告がした右買取の請求は効力を生じない。従つて、また、右買取の請求が効力を生じたことを前提として、第一審被告〓が第一審原告らから買取代金の支払を受けるまで本件建物及び土地の明渡を拒み得るとする同被告の同時履行の抗弁は理由がない。
3 (第一審被告〓の本件建物収去土地明渡義務と損害賠償義務)第一審被告〓は、他に、本件土地を占有するについて新間嘉兵衛及び第一審原告らに対抗し得る権原を有することを主張立証しないのであるから、本件土地の現所有者である第一審原告らに対し、本件建物を収去して本件土地を明渡すべき義務があり、且つ、本件土地を不法に占有することによつて新間嘉兵衛及び第一審原告らに被らせている本件土地の相当賃料と同額の損害を賠償すべき義務がある。すなわち、新間嘉兵衛は、第一審被告〓の本件土地の占有後新間嘉兵衛の死亡にいたるまでの右損害の賠償請求権を有するところ、第一審原告らは、新間嘉兵衛の死亡による相続により、同人の右損害賠償請求権をその法定相続分に従い、すなわち第一審原告新間〓かについては三分の一、その他の第一審原告らについては各九分の二の割合により(この法定相続分に関しては当事者間に争がない。)、承継取得し、且つ、右相続後は、本件土地所有権の持分に従い、すなわち、右と同一の割合により、同人ら自身の被る右損害の賠償請求権を有する。そして、成立に争のない甲第四号証によると、本件土地を含む土地二四八坪四合五勺の昭和三二年度における固定資産課税台帖登録価格が九八万三、六四〇円であることが認められ、これを基準として、同年度における本件土地(四〇坪)の地代家賃統制令による統制額を算出すると、一箇月につき、坪当り一二円五二銭、合計五〇〇円八〇銭となるから、第一審原告らが第一審被告〓に対し、本件建物を収去して本件土地を明渡すべきことを求め、且つ、同被告が本件建物を買受けその敷地として本件土地を占有し始めた後である昭和三二年一〇月一日から本件建物収去土地明渡にいたるまで一箇月につき五〇〇円八〇銭の割合による損害金のうち、その三分の一を第一審原告新間〓かに、各その九分の二をその他の第一審原告らに支払うべきことを求める第一審原告らの主位的本訴請求は、正当として認容すべきである。(新間嘉兵衛又は第一審原告らと佐藤鉄太郎との間の本件土地の賃貸借が終了したとの証拠がないから、新間嘉兵衛及び第一審原告らは佐藤鉄太郎に対する賃料請求権を失つたとは認められないが、現実に右賃料の支払を受けたとの証拠がない以上、新間嘉兵衛及び第一審原告らが第一審被告〓に対し賃料相当の損害金を請求することは妨げないものと解する。―昭和三五年九月二〇日最高裁判所判決参照)
二、昭和三八年(ネ)第八〇八号事件被控訴人広瀬泰三(以下、第一審被告広瀬という。)に対する請求について
本件土地がもと新間嘉兵衛の所有であつたが、昭和三四年三月一五日同人の死亡による相続により、第一審原告らが本件土地を共有するにいたつたこと、第一審被告広瀬が本件建物のうち東北側八坪九合三勺の部分(以下、本件建物部分という。)を使用して、その敷地である本件土地のうち一〇坪の部分(別紙目録添附略図表示の(A)の部分)(以下、本件土地部分という。)を占有していることは、当事者間に、争がない。
原審証人広瀬文子の証言によりその成立を認める乙第一三、第一四号証、同証言並びに原審(第二回)及び当審における第一審被告〓本人の供述によると、第一審被告広瀬は昭和三三年四月第一審被告〓から本件建物部分を賃借したことが認められる。第一審被告広瀬は、本件建物部分の敷地である本件土地部分の占有については、第一審被告〓の本件土地の占有権原に基づいて、第一審原告らに対抗することができると抗弁するのであるが、第一審被告〓が第一審原告らに対抗し得る本件土地の占有権原を有しないことは既に認定したとおりであるから、これを前提とする第一審被告広瀬の右抗弁は理由がない。更に、第一審被告広瀬は、第一審被告〓が第一審原告らに対し本件建物の買取を請求したので、これにより本件建物の所有権を取得した第一審原告らに対し、第一審被告広瀬は本件建物部分の賃借権を対抗することができ、従つて同被告の本件土地部分の占有は不法ではない旨を抗弁するのであるが、第一審被告〓の本件建物の買取請求がその効力を生じないことは既に認定したとおりであるから、第一審被告広瀬の右抗弁は理由がない。
第一審被告広瀬は、他に本件土地部分を占有するについて第一審原告らに対抗し得る権原を有することを主張立証しないから、第一審原告らが本件土地の所有権に基づき第一審被告広瀬に対し本件建物部分から退去して本件土地部分を明渡すべきことを求める本訴請求は、正当として認容すべきである。
三、よつて、原判決中、第一審原告らの第一審被告〓に対する主位的請求及び第一審被告広瀬に対する建物退去土地明渡の請求を認容しなかつた部分は失当であるから、これを取消し、第一審被告〓の本件控訴は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第九三条、第八九条、仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。なお、この判決中、第一審被告らに対し建物収去(又は退去)土地明渡を命じた部分に仮執行の宣言を附することは相当でないと認めたので、これを附さない。
目録(一)、(二)および略図は一審判決添付のものと同一につき省略